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これまで
はじめまして、dainosukeです。
眼前に太平洋が広がる高知県で生まれ育ち、専門学校入学を期に福岡に住み始め約16年の34歳(2020年)で、現在は一般企業で広報として働いています。
これまでの職歴を少し。
〈1社目〉デザインプロダクション

新卒で広告のデザインプロダクションに入社しました。
専門学校時代に佐藤可士和さんの存在を知り、将来は可士和さんみたいな仕事がしたい!と熱い気持ちを持っていました。
最初は画像の切り抜きや合成、地図づくりなど、下積み的な仕事もたくさんしつつ、通販化粧品会社の冊子や旅行代理店のチラシやパンフレットづくりなどを担当。
大手のクライアントが多く、仕事もボリュームがあったので一人ですべて担当するというよりは、数人のチームを組んで一部を担当するケースが多かったです。
しかしぼくは、新卒男性社員が担当するという暗黙の了解がある、とあるクライアントを長く担当することに。それはデザインというよりは「作業」的な側面の強い仕事で、同期が厳しいデザインワークで揉まれてスキルアップしていく中で、自分は成長できていないという焦りと恥ずかしさがいつしかコンプレックスになりました。
そして、給料の安さや労働時間の長さもあり、コンプレックスから逃げるように3年半ほどで退社。
〈転職1回目〉Tシャツのデザイン・販売(個人事業主)

退社後、個人事業主になりTシャツのデザインから製版、シルクスクリーンプリントをして販売をはじめました。
当時は、BASEやSTORESみたいなおしゃれで便利なサービスも無かった?ため、ブログサービスの通販テンプレートを利用して、HTMLやCSSをググりながら何週間もかけて自作。
製版もフレームにスクリーンを張るところから自分でして、製版機は材料を買って知り合いの電気屋さんに安く作ってもらったりして試行錯誤。
出費も多いため、Tシャツ屋さんでバイトをして生活費を稼ぎながら、家に帰るとTシャツ制作という日々。
当時は考えがとっても甘く、捕らぬ狸の皮算用で1日何枚売れたら利益がこれくらいだから月だといくらで、なんて計算していましたが実際はほとんど売れず、1年も経たずに貯金も尽き、挫折。
バイトでも少し揉めて辞めることに(今でいうブラック体質気味の会社だった)。
すべてが上手くいかず、自己肯定感が激しく下がった時期です。
〈転職2回目〉印刷会社 デザイン部

とにかく自分に自信が持てなかった時期、地元の高知が無性に懐かしくなり、転職先は高知で探すことに。
そして高知の小さな印刷会社のデザイン部にデザイナーとして転職しました。
正直なところ、デザインプロダクションで挫折した自分でも田舎の印刷会社でなら通用するだろうと、なめた醜い気持ちもあったように思います。
が、実際は全く逆。
デザイン部のトップである課長がとてもデザインスキルが高く、それが社外でも評価されて、小さな印刷会社なのに高いレベルでクリエイティブを求められる案件が多かったのです。
もちろん一生懸命結果を残そうとしていたのですが、クリエイティブのレベルはごまかせず、結果、全然通用しませんでした。
課長からも日々ダメ出し。
社長に呼び出され、残業代ばかりかさんでいるから、このままのレベルだとクビ、というニュアンスの話もされました。
当時結婚が決まっていたぼくは、今クビになったらやばいと焦り、頭の中は真っ白で若干うつ気味に。
しかしやるしかないと気持ちを切り替え、いつも課長や社長から言われていたことを思い出しました。
言われていたのはこんなこと。
デザインは理性と感性を行き来しながらつくれ
もっと自分を開放しろ
とにかくなんでも経験しろ
1つ目と2つ目は少し重複するのですが、ぼくが生真面目な性格なのでデザインにもそれが悪い意味で反映されている。例えば子ども向けの楽しいイベントのポスターなのにどこかデザインに楽しさが感じられない。理性ばかりで作っていてデザインは悪くないけど、「楽しそう」な「感性」の部分が足りない、といった内容。
だから3つ目、とにかくデザイン関係でなくても構わないから、とにかく旅行でもなんでもいいからいろんなものを見て、感じて、体験しろ。
それによって必ず自分の中に培われるものがある。
それからは必死にその言葉を実践し、意識していろいろな体験をするようにしました。
この印刷会社では福岡のデザインプロダクションと違い、ジャンル問わず本当に様々な仕事が舞い込んで来ました。
美容学校や大学の学校案内から地域のイベントのポスター、大学教授の退官記念誌、介護施設のリーフレット、学会の報告論文集、日本酒のパッケージ…などなど。
あらゆるジャンルのデザインの数をこなし、プライベートでもいろいろと吸収することを意識した結果、入社時とは比べ物にならないほどデザインスキルが上がったと思います。
これによって「小さな成功体験」というか、自己肯定感が少しだけ上がりました。
ですが、様々な事情がありこの印刷会社も3年半ほどで退社し、もう一度福岡に戻ることになりました。
〈転職3回目〉一般企業 広報

デザインの仕事は大好きですが、よほどの大手でない限りデザインプロダクションや印刷会社は給料がそれほど高くないですし、労働時間が長いこともあり、デザインができる一般企業を探して広報として転職しました。
新聞やテレビ、業界誌などの取材対応やニュースリリース作成、SNS運営、宣伝などもしていますが、デザイナーとしての経歴を生かして広告物のデザインもしています。
いまはここで働いていて、入社6年目を迎えました。
転職歴を振り返って

個人事業主としてやっていたTシャツ屋さんも1社とすると、現在で4社目になります。34歳で3度転職しているのは多いと思いますが、振り返ってみると本当にどれもが糧になり、経験が知識となりスキルとなっているなと実感します。
デザインプロダクションでは社会人、デザイナーとしての基礎や広告代理店を挟んだクライアントワークの流れを。
個人事業では商品を認知させ、売ること、自分の力だけでお金を稼ぐことの難しさを。
印刷会社では、印刷の知識を得て、幅広いデザインの経験とスキルアップができました。
その結果、今の会社では広報+αの能力としてデザインスキルが認められ、順調に昇給しデザイナー時代よりはかなり多い給料がもらえています。
転職回数が多いと他人からの印象はあまり良くないように思いますが、スキルアップできる会社を選べば必ず自分にプラスになるんだなと思いました。
そして改めて「スキル」を身につけることって大事だなと実感しました。
プログラミング勉強中

2020年5月からWEB教材を使ってプログラミングの勉強をしています。
このブログも自分でプログラミングをしてデザインをリニューアルしました。
上でスキルの話をしましたが、広告のデザイナーがプログラミングスキルを身につければ、スキルの掛け算でできることが広がります。
何より、自分がデザインしたものがWEB上で動いて触れるということが嬉しいし、感動です。
もっとプログラミングスキルを上げて、ブログもちょっとずつブラッシュアップしつつ、プログラミングの情報発信もしていきたいと思います。